五穀豊穣・病気平癒・疫病退散を願う『長崎神社獅子舞』

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長崎神社獅子舞

武漢コロナウイルスの感染が広がり、アマビエという妖怪が流行り出しましたが、池袋にも「疫病退散」があります!

その名も長崎獅子舞(ながさきししまい)」
獅子頭を振り乱して舞う様子は勇壮。迫力満点です。
獅子頭を被った三頭の獅子が五穀豊穣・疫病退散を願い、腹につけた太鼓を打ち鳴らしながら舞います。

元禄年間(1688年~1703年)から伝承される豊島区の民俗芸能で、平成4年には、豊島区の指定無形民俗文化財にも登録されました。

長崎獅子舞は毎年5月の第2日曜に行われています。
今年2020年は5月10日(日)の予定となります。

三頭の獅子が、腹につけた太鼓を打ち鳴らしながら舞う「長崎獅子舞」は、神社境内での舞の時は獅子は三頭だが、道行きの時は四頭で舞うということです。


長崎獅子舞の歴史

長崎獅子舞は、旧長崎村の人々によって伝承されてきた民俗芸能で、江戸時代末の弘化4(1847)年9月には行なわれていたということが古文書によって伝承されています。

昭和44年からは、毎年5月の第二日曜日に長崎神社の獅子祭で演じられています。

「長崎神社宝物・御獅子履歴書」によると長崎村五郎窪(地名)の伊佐角兵衛という人が、身体健全のお礼のため獅子を彫って奉納したことに始まるといい、それ以後、並木と五郎窪を宮元として毎年演じられて来ました。

長崎獅子舞の病気平癒のいわれ

 享和・文化年間(1801~17)に一時中断しましたが、悪疫が流行したので獅子舞を復興したところ霊験があらわれて悪疫は鎮まりました。

万延・文久年間(1860~63)に再び獅子舞が衰退したところ赤痢が流行しました。
そこで獅子を舞って村内を一巡したところ流行は治まったことで病気平癒(びょうきへいゆ)したことから長崎獅子舞が病気平癒といわれることになったそうです。

長崎獅子舞の病気平癒のいわれ

長崎獅子舞の伝説

長崎村五郎窪の伊佐角兵衛という人が晩年、目の病に大変苦労をされていました。その伊佐角兵衛は長崎神社にお参りをしてから徐々に目の状態が良くなり、お礼に四頭の獅子頭を作製して長崎神社に奉納した。

その中の一頭の獅子頭の出来が良くなかったため、その獅子頭を倉庫にしまって置いた所いつのまにか逃げ出してしまい行方不明になってしまいました。

すると角兵衛の目の状態が徐々に悪くなっていったというのです。

その後町中の人達が探し回った結果、並木家の庭に獅子頭は隠れており並木家の人が獅子頭を見つけた時、獅子頭は涙を流していたそうです!

獅子頭を見つけたあと、伊佐角兵衛の目の状態は回復し、四頭の獅子が踊る姿を見ることができました。

それ以来、獅子と所縁のある並木家が代々獅子舞の伝承役を担う様になったということです。

今では獅子と目を合わせることで、その力を頂けるといいます。

長崎獅子舞の特徴

葵の御紋が入った高張り提灯を先頭に入場 。

天保10年(1839)、油屋三右衛門という豪商の口利きで尾張公の上覧を仰ぎ、葵御紋の高張提灯を賜わったことに由来する。

長崎獅子舞の特徴

葵の御紋が入った高張り提灯

鮮やかな袴を纏った獅子が腰に付けた太鼓を叩き篠笛の音に合わせて舞います。

開催期間2020年5月10日(日)
開催時間11時30分~17時(予定)
開催地長崎神社
住所東京都豊島区長崎1-9-4
TEL03-3981-1190(豊島区教育委員会文化財グループ)
料金無料
アクセス公共交通:西武椎名町駅→徒歩1分
駐車場なし
文化財情報(イベント)豊島区指定無形民俗文化財[長崎獅子舞]

出典:長崎獅子舞 – オフィシャルホームページ